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元々、那智菫子という女性は、生まれたときから「1歳まで生きられれば…」と言われた体の弱い人であった。それが「3歳」になり「5歳」になり、いつしか10歳を越え、もうすぐ20歳という年齢にまでなったが、やはり体は弱く、油断をすればちょっとの風邪でも寝込んでしまうのである。その彼女が妊娠……確実に寿命を縮める行為であった。 「否よ!いやったらいや!この子は絶対に産みます!!どうして、為三郎様まで……この子をキラうの?」 菫子がハラハラと涙を零す。為三郎にとって一番弱いのが菫子の涙であった |
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「儚げな様でいて、実に頑固な女性だった……」 『歳三が出来たとわかった時は、騒動になってな』 土方家の長兄である為三郎は、ぽつりぽつりと語り始めた。 「為!為三郎!!己はあれほど気をつけろと、言うたであろう!!」 「は?何のことですか?」 「とぼける気か!」 「ですから、何のことです?いきなり怒鳴られても意味が分かりません」 松平”てまり”は、為三郎の住まっている離れに乗り込むと、烈火のごとく怒り、為三郎を糾弾する。しかし、為三郎は怒られている理由が分からない。 「しらばっくれるな!菫子の…」 「てまり様!待って」 てまりを追ってきたまだ少女と言っていいぐらいの女性は、為三郎の襟元を締め上げようとしたてまりの腕に手を掛けて止めた。 「てまり様、為三郎様はまだ知らないの」 透き通るような白皙の面は、いまは興奮のためか薄紅色に染まっている。 「あのね、為三郎様…………」 菫子は、為三郎の隣に座ると、その耳元に口を寄せた。 「あのですね………ややこが出来たようです…」 「はあ、ややこが……………ややこが出来たって!!」 「この馬鹿たれが!あれほど口をすっぱく言っておったろうが!!」 『私達が一緒になる時に付けられた唯一の条件が、子供を作らない、だったのですよ』 為三郎は、自嘲的な笑みを浮かべた。 |
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横倉甚五郎は、みたらし団子の串を口に持っていくと、串を横に引いた。 軽く咀嚼をして飲み込むと、湯飲みの渋茶を啜る。 坪庭を挟んだ向こうの座敷では、セイが姉さん被りに叩きと箒を持って立ち働いている。 登は実家に預けっ放しとはいえ十にもなろうかという息子がいる。一には言うなれば筒井筒の仲の時尾がいる。 そしてある意味一番心配していた歳三にも、セイという女性がいる。 横倉は、再び皿の団子に手を伸ばす。 どこからか、郭公の鳴き声が聞こえる。 山々は若々しい青葉が茂り、生命力に満ち溢れている。 「……俺も、嫁さん貰うかな…………」 ある意味大きいお兄ちゃんである彼は、漸く肩の荷を降ろした。 遅くなりましたが、5/3に拍手をしてくれた方、ありがとうございます♪ |
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我輩は犬である。 一応、名前は付いている。 「太郎」 というのが、我輩の名前である。 我輩が、この家にやってきたのは、幼い頃捨てられていたのをこの家の子供に拾われたというまあ、よくある話だ。 この家の家族構成というのは、主である父親と母親、そして3人の子供である。数人の使用人はちょっと置いておく。 「たろう、おいで〜」 きれいな声で我輩を呼ぶのは、この家の長女である万理だ。我輩が尻尾を振って近づいていくと、白い手が伸ばされる。 「たろう、ちょっと聞いてよ〜〜」 万理は、きれいで優しくいい匂いがするのでかなりすきなのだが、惜しむらくは何かって言うと我輩相手に愚痴を零すのが玉に瑕だ。 「ねーちゃん、太郎に言ったって無駄だろ。太郎は犬なんだから」 横から茶々を入れてくるのは、この家のクソガキ、長男の豊である。やんちゃで元気がよすぎで、我輩はかなり迷惑をこうむっていたりする。 「それに、太郎は今から散歩に行くんだ。鉄兄ぃの愚痴は本人に言えよ」 そう、豊は我輩の散歩係なのである。まあ実際は我輩がこのやんちゃ坊主の面倒を見ているといっていいだろう。 「豊。散歩に行くんなら冬香も一緒に連れて行ってね」 しっとりとしていながら凛としたこの声は、子供たちの母親である。どうやら傍には末っ子である冬香もいるらしい。 とたとたと可愛らしい足音がすると、ぎゅっと我輩の首筋に抱きつく小さな体。 「たぁろう、冬香も一緒に行っていい?」 我輩に否はないので、ワンと小さく答える。 「だぁっ!俺は…」 「豊。一緒に行きなさい」 母親の鋭い声が聞こえる。普段は優しく良妻賢母で通っているが、その過去には何があったのか、時々有無を言わせない強さが垣間見えるときがある。我輩には関係ないことだが……。 散歩から帰り、夕飯を食べ一眠りをしたら、外は真っ暗であった。 子供達はもう寝ているようである。 我輩は宛がわれている寝床から出ると、我輩用に開けられた壁の穴を通り廊下に出た。 ととととと廊下を歩き、明かりの漏れている部屋の前でちょこんと座ると、障子が開けれれるので中に入る。 「おっ、太郎、来たな」 この家の主が襲い夕食を摂っていた。我輩は傍に行くと大人しく食べ終わるのを待つことにする、 いつもならば、もっと早い時間に帰ってきて家族で夕食を摂るのだが、最近は忙しいとかで、主は帰ってくるのが遅いのだ。 主は結構な子煩悩だ。此処のところ帰ってくると子供達は大概寝ているので手持ち無沙汰なのだろうか、あるとき偶然起きていた我輩を猛烈にいじくり倒してくれたのである。 コレも、飼い犬の宿命と思い、素直に甘んじることとした。 我輩の名は「太郎」。役所に届ける登録名は「土方太郎」というらしい………… 思いつくまま書いてみました。 なかなか楽しそうなので、後で詳しい話にするかもしれません。 太郎君、一応室内飼いです。 |
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山縣有朋にとって、土方歳三は「目の上のたんこぶ」であった。 一番最初に陸軍を統率していた西郷隆盛が政争に破れ鹿児島に帰郷した時、どうやっても抗えない重石が取れたと喜んだのだが、それも束の間、西郷にも劣らないカリスマ(軍人としての才は上)である土方が、欧州より帰国をしたのである。 そもそも、土方といえば「あの新撰組の副長」としてただでさえ恐怖の的であるのに、鳥羽伏見の戦いでは軍事的才能を見せ付けられ、しかも実はいいところのボン(いいところどころではないのだがw)で、部下には慕われ同僚らには信用され、そして相思相愛(本人的にはきっと絶対否定するだろうが)の美人の嫁!!! 長州の貧しい家に生まれ、子分はいるが友人はいない山縣にとって、土方という男、劣等感を刺激する存在なのである。 更に、尺に触ることには、軍政面に関して新撰組というあれほどの武闘集団を作り上げた男であるのに、山縣に殆どまかせっきりで掣肘を入れることがないのである。 そんな山縣のストレス発散方法は、庭造りであった。 土方の存在と、山縣のネガティブな思考が大きな原動力となって、「椿山荘」をはじめとする数々の名庭園が生まれたことは、その業界では知らぬもののいない事実である。 友達もいないのに、「有朋」とはいかコレに!の山縣です。 ちなみに、西郷、大久保、木戸がいなくなることにより、頭を抑えるものがいなくなり、陸軍が山縣の支配下になっていってしまったのが、昭和の陸軍の暴走の遠因の一つと言われています。 それでも伊藤博文や井上馨が存命していた明治は抑制されていたのですが、やっぱり山縣長生きだったのが……大正12年まで生きたんだっけ?。 会津出身の柴五郎さんが大将に昇進するときに「なんで、会津を昇進させねばならん。以後、会津の大将昇進はまかりならん」とほざきましたからね〜、この男。 ちなみに、この柴五郎さん。北京の義和団事変で、各国大使館街篭城の指揮官をしてました。会津の獅子の山川浩のところで書生をしていたこともあって、斎藤一と面識あり。市街地戦の心得みたいなことを教えてもらっていたりしたらと、妄想が膨らみます。 |




